2019年11月19日(火)
今年も野口興産主催のオ−タムコンサートが無事終了した。
今年はいつもの、ヴァイオリンの高木弾さん(5回目の出演)と、ピアノの飯田俊明さん(3回目)、それに女性チェリストの冨田千晴さんと、後半から口笛奏者の柴田晶子さんの4人に演奏してもらった。
前半はいつもながらの形態のピアノトリオだが、ヴァイオリンとチェロの夫々が得意なクラシック曲の演奏も披露した。
後半の柴田さんの口笛演奏は、珍しいこともあってか大変な反響となった。
色々工夫して小道具を使い、観客が目でも引き込まれながら音色を聴き入っているのが感じられた。
終了後のアンケートやメールでも今までの中で一番好評だったのではないかと思われた。
音楽の合間では用意した50本近いワインがほとんどなくなった。
イタリア・バローロから持ち帰った赤ワインもI社W社長からご提供いただいた高級ワインも一瞬でなくなっていった。
生ハムも食パンも好評で、取り分け待ちの列ができていた。
演奏中、食品容器のプラスチックがパリパリ音を立てたり、いくつかのトラブルはあったが、それでもお帰りの際の殆どのお客様から「今日は楽しかった」「来てよかった」と声をかけていただいた喜びは、企画した者として何にも益してうれしい。
そうしたコンサートを開かせてくれた野口興産(とその応援スタッフ)にも深く感謝している。
一言 コンサート会場についても書いてみたい。
コンサートホールは最初からずっと「ムジカーザ」を使っている。
一度見学に来てホールの大きさ・形状をみてすぐここに決めた。
100名のお客様とスタッフ10名が、間近で生演奏を聴くという目的に叶っていたからだ。
鈴木エドワード氏が設計したコンクリートと木の構成も美しかった。
音楽の合間に軽食・飲料を出せるのもこのコンサートのやり方と合った。
それが今では大きな1つの目的(?)になってしまっているのには首を傾げるところはあるが・・・。
最初はクラシック音楽を生で身近で、という思想の元で始めたコンサートもお客様の喜ばれる顔色を見ている内にクラシックとポピュラーの垣根はあいまいになっていった・・・
その中で、チェリストの冨田さんの弾くバッハのソロは聴く人の身体にやさしく溶け込んだようだ。
飯田さんがベタホメするように冨田さんは確かな技量と柔らかな音質を響かせるチェリストでその明るい人柄も観客を喜ばせた。
高木さんもいつも通り自分の音楽を身体で演奏した。
飯田さんは今回ほとんど伴奏に終始し飯田さんの本領を発揮する機会が少なかったのは、そのパフォーマンスを知る者には残念だ。
まだ早いが来年はどうしょう。
好評だった今年と同じメンバーにするのは簡単だが、それでは何も変わらない。
あれこれ考えるのは苦痛だが、それはまた最大の喜びか?
2019年12月25日水曜日
2019年6月7日金曜日
R.ワーグナーのガラコンサート
2月7日の夜 R.ワーグナーのガラコンサート風の合唱を浜松町のビルの5階にあるレストランで聞いてきた。
御一緒したのはやはりクラッシック音楽ファンの防水工事店のK社のT社長だ。
レストランに入ってステージの右側の前列のテーブルに通された。
申し込みを早めにしていたので非常にいい席だ。
二人でワクワクというかソワソワしながら前菜を食べワインを少しだけ飲んだ。
19時からコンサートが始まった。
出だしはワルキューレの第2幕1場の合唱からだ。
ヴォータンはちゃんと片目を閉じ剣を携えている。
ブリュンヒルデは自分より長い槍を立てて歌に入った。
だが、なかなかこちらが曲に入り込めない。
だってワグナーの演奏がピアノ一台に集約され、歌唱も平面的だ(に最初は感じられた)。
自分の頭の中にある合唱と演奏とのギャップになかなか馴染まない。
最近はいつもコンサートに行って最初のギャップに戸惑うことがしきりだ。
左右の耳の音のバランスにも馴染めず、一体どうなるのだろうと不安を感じた。
ただ・・・10分もしたら曲の中に引きずり込まれていた。
これもまたいつものようにワグナーの曲の持つ魔力はとてつもなく強大だ。
眼の前のドイツ語がいや応無く迫って来る。
これはもう聴く側に自由はない。
なんなのだ!この力は?
声も大きい。
こんな声量には対抗しようがない。
最初の批評はボロボロに叩きつけられ 音にのめり込んで行く。
廻りを見渡すと揃いも揃って皆似たような状況だ。
これがワグナーと他の作曲家との違いなのだ。
ワグナーに勝てる国王も哲学者も小説家もいやしないのだ。
第2幕が終わった。
私は2幕なら4・5場が好きだが人前でやられると不味いことになる。
我慢出来ずに泣いてしまうのだ。
第2幕の終了後 50分の食事休憩があった。
味を憶えていない料理を食べながら熱くなった耳と頭を冷やしつつ夫々の感想を言い合った。
古い話になるが、
私がワグナーを知ったのは大学の先輩が「ニーベルングの指輪」のレコードを聴く機会を作ってくれたからだが、聴いてすぐ一方的な恋に落ちた。
今でもその先輩には感謝している。
それ以来「指輪」は私にとって特別な音楽となった。
聴き始めてから もう50年(!!)が過ぎる。
そのお陰でブルックナーもマーラーも好きになった。
そうこうする内に後半のジークフリートが始まった。
こちらもすごい。
ヴォータンが、ブリュンヒルデが、ジークフリートが夫々の声の限りを尽くす。
五感を限りまで乱されてコンサートは終わった。
暫くは立てない。
立ちあがりたくない。
たまにはこのような夜も必要だと痛感させられた一夜であった。
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