2月7日の夜 R.ワーグナーのガラコンサート風の合唱を浜松町のビルの5階にあるレストランで聞いてきた。
御一緒したのはやはりクラッシック音楽ファンの防水工事店のK社のT社長だ。
レストランに入ってステージの右側の前列のテーブルに通された。
申し込みを早めにしていたので非常にいい席だ。
二人でワクワクというかソワソワしながら前菜を食べワインを少しだけ飲んだ。
19時からコンサートが始まった。
出だしはワルキューレの第2幕1場の合唱からだ。
ヴォータンはちゃんと片目を閉じ剣を携えている。
ブリュンヒルデは自分より長い槍を立てて歌に入った。
だが、なかなかこちらが曲に入り込めない。
だってワグナーの演奏がピアノ一台に集約され、歌唱も平面的だ(に最初は感じられた)。
自分の頭の中にある合唱と演奏とのギャップになかなか馴染まない。
最近はいつもコンサートに行って最初のギャップに戸惑うことがしきりだ。
左右の耳の音のバランスにも馴染めず、一体どうなるのだろうと不安を感じた。
ただ・・・10分もしたら曲の中に引きずり込まれていた。
これもまたいつものようにワグナーの曲の持つ魔力はとてつもなく強大だ。
眼の前のドイツ語がいや応無く迫って来る。
これはもう聴く側に自由はない。
なんなのだ!この力は?
声も大きい。
こんな声量には対抗しようがない。
最初の批評はボロボロに叩きつけられ 音にのめり込んで行く。
廻りを見渡すと揃いも揃って皆似たような状況だ。
これがワグナーと他の作曲家との違いなのだ。
ワグナーに勝てる国王も哲学者も小説家もいやしないのだ。
第2幕が終わった。
私は2幕なら4・5場が好きだが人前でやられると不味いことになる。
我慢出来ずに泣いてしまうのだ。
第2幕の終了後 50分の食事休憩があった。
味を憶えていない料理を食べながら熱くなった耳と頭を冷やしつつ夫々の感想を言い合った。
古い話になるが、
私がワグナーを知ったのは大学の先輩が「ニーベルングの指輪」のレコードを聴く機会を作ってくれたからだが、聴いてすぐ一方的な恋に落ちた。
今でもその先輩には感謝している。
それ以来「指輪」は私にとって特別な音楽となった。
聴き始めてから もう50年(!!)が過ぎる。
そのお陰でブルックナーもマーラーも好きになった。
そうこうする内に後半のジークフリートが始まった。
こちらもすごい。
ヴォータンが、ブリュンヒルデが、ジークフリートが夫々の声の限りを尽くす。
五感を限りまで乱されてコンサートは終わった。
暫くは立てない。
立ちあがりたくない。
たまにはこのような夜も必要だと痛感させられた一夜であった。
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