2019年12月25日水曜日

オ−タムコンサート

2019年11月19日(火)

今年も野口興産主催のオ−タムコンサートが無事終了した。

今年はいつもの、ヴァイオリンの高木弾さん(5回目の出演)と、ピアノの飯田俊明さん(3回目)、それに女性チェリストの冨田千晴さんと、後半から口笛奏者の柴田晶子さんの4人に演奏してもらった。

前半はいつもながらの形態のピアノトリオだが、ヴァイオリンとチェロの夫々が得意なクラシック曲の演奏も披露した。

後半の柴田さんの口笛演奏は、珍しいこともあってか大変な反響となった。
色々工夫して小道具を使い、観客が目でも引き込まれながら音色を聴き入っているのが感じられた。
終了後のアンケートやメールでも今までの中で一番好評だったのではないかと思われた。

音楽の合間では用意した50本近いワインがほとんどなくなった。
イタリア・バローロから持ち帰った赤ワインもI社W社長からご提供いただいた高級ワインも一瞬でなくなっていった。
生ハムも食パンも好評で、取り分け待ちの列ができていた。
演奏中、食品容器のプラスチックがパリパリ音を立てたり、いくつかのトラブルはあったが、それでもお帰りの際の殆どのお客様から「今日は楽しかった」「来てよかった」と声をかけていただいた喜びは、企画した者として何にも益してうれしい。
そうしたコンサートを開かせてくれた野口興産(とその応援スタッフ)にも深く感謝している。

一言 コンサート会場についても書いてみたい。
コンサートホールは最初からずっと「ムジカーザ」を使っている。
一度見学に来てホールの大きさ・形状をみてすぐここに決めた。
100名のお客様とスタッフ10名が、間近で生演奏を聴くという目的に叶っていたからだ。
鈴木エドワード氏が設計したコンクリートと木の構成も美しかった。
音楽の合間に軽食・飲料を出せるのもこのコンサートのやり方と合った。
それが今では大きな1つの目的(?)になってしまっているのには首を傾げるところはあるが・・・。

最初はクラシック音楽を生で身近で、という思想の元で始めたコンサートもお客様の喜ばれる顔色を見ている内にクラシックとポピュラーの垣根はあいまいになっていった・・・
その中で、チェリストの冨田さんの弾くバッハのソロは聴く人の身体にやさしく溶け込んだようだ。
飯田さんがベタホメするように冨田さんは確かな技量と柔らかな音質を響かせるチェリストでその明るい人柄も観客を喜ばせた。
高木さんもいつも通り自分の音楽を身体で演奏した。
飯田さんは今回ほとんど伴奏に終始し飯田さんの本領を発揮する機会が少なかったのは、そのパフォーマンスを知る者には残念だ。

まだ早いが来年はどうしょう。
好評だった今年と同じメンバーにするのは簡単だが、それでは何も変わらない。
あれこれ考えるのは苦痛だが、それはまた最大の喜びか?











2019年6月7日金曜日

R.ワーグナーのガラコンサート


2月7日の夜 R.ワーグナーのガラコンサート風の合唱を浜松町のビルの5階にあるレストランで聞いてきた。

御一緒したのはやはりクラッシック音楽ファンの防水工事店のK社のT社長だ。
レストランに入ってステージの右側の前列のテーブルに通された。
申し込みを早めにしていたので非常にいい席だ。
二人でワクワクというかソワソワしながら前菜を食べワインを少しだけ飲んだ。

19時からコンサートが始まった。
出だしはワルキューレの第2幕1場の合唱からだ。
ヴォータンはちゃんと片目を閉じ剣を携えている。
ブリュンヒルデは自分より長い槍を立てて歌に入った。
だが、なかなかこちらが曲に入り込めない。
だってワグナーの演奏がピアノ一台に集約され、歌唱も平面的だ(に最初は感じられた)。
自分の頭の中にある合唱と演奏とのギャップになかなか馴染まない。
最近はいつもコンサートに行って最初のギャップに戸惑うことがしきりだ。
左右の耳の音のバランスにも馴染めず、一体どうなるのだろうと不安を感じた。

ただ・・・10分もしたら曲の中に引きずり込まれていた。
これもまたいつものようにワグナーの曲の持つ魔力はとてつもなく強大だ。
眼の前のドイツ語がいや応無く迫って来る。
これはもう聴く側に自由はない。
なんなのだ!この力は?
声も大きい。
こんな声量には対抗しようがない。
最初の批評はボロボロに叩きつけられ 音にのめり込んで行く。

廻りを見渡すと揃いも揃って皆似たような状況だ。
これがワグナーと他の作曲家との違いなのだ。
ワグナーに勝てる国王も哲学者も小説家もいやしないのだ。
第2幕が終わった。
私は2幕なら4・5場が好きだが人前でやられると不味いことになる。
我慢出来ずに泣いてしまうのだ。
第2幕の終了後 50分の食事休憩があった。
味を憶えていない料理を食べながら熱くなった耳と頭を冷やしつつ夫々の感想を言い合った。

古い話になるが、
私がワグナーを知ったのは大学の先輩が「ニーベルングの指輪」のレコードを聴く機会を作ってくれたからだが、聴いてすぐ一方的な恋に落ちた。
今でもその先輩には感謝している。
それ以来「指輪」は私にとって特別な音楽となった。
聴き始めてから もう50年(!!)が過ぎる。
そのお陰でブルックナーもマーラーも好きになった。

そうこうする内に後半のジークフリートが始まった。
こちらもすごい。
ヴォータンが、ブリュンヒルデが、ジークフリートが夫々の声の限りを尽くす。
五感を限りまで乱されてコンサートは終わった。
暫くは立てない。
立ちあがりたくない。
たまにはこのような夜も必要だと痛感させられた一夜であった。






2018年3月14日水曜日

今回は自分の好きな西洋画について書かせてもらいます


1月のとある日 得意先のN社のN社長のご紹介で茨城県にある「染めQテクノロジィ」の本社・ショールームを見学する機会があった。
最先端の技術で特徴ある塗装材を開発・製造・販売するメーカーでそれ自体も非常に興味深かったが、最後に商品展示室で出会ったアングルの「泉」をモチーフにしたオブジェに出会いびっくりした。
トイレットペーパーを高く積み上げてその側面に「泉」の上部を黒のスプレーで吹きつけたと思われる作品でその発想にも驚いた。
大きさを知ってもらうため、弊社北関東支店の長谷川哲也次長に写真に入ってもらった。



ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル(1780-1867)が「泉」を完成させたのは画家として晩年に近い76歳(1756)だった。
アングルの絵としては画質が荒いが、その静謐性、永遠性は他の作品を上回る。中心に立つ女性はまだ少女と言っていい程若いが、その無表情と滑らかな身体はまるで陶器のようだ。
「泉」とはもう60年(!!)の付き合いになる。

小学生の時代 取り立てて学業も運動にも取り得のなかった私は本を読むことが好きな何処にでもいる少年だった。小さい頃から読書が好きで、よく小学生用の小説類を読んでいたが、その合い間に美術全集も見ていた。小学4年生頃になり、段々自分の好きな画家が定まるようになりいつも開くようになったのは、ダヴィットやアングルの生きた新古典主義の時代だった。
暗くてひんやりした印象の図書室の片隅で自分の身体と殆んど変わらない大きさと重さの本を引き出しては床に広げて見ていた。アングルの「泉」と「グランドオダリスク」はどちらも若い女性の裸体画だ。だから近くに人がいる時にはそのページは開けなかった。だが誰もいないと見ていて何時までも見飽きなかった。
今ならばそれらの絵の持つ美術性や意味合いを述べることは出来るが小学生には判らない。それよりこのような裸体画に強く惹かれる自分はおかしい(異常な)のではないかと秘かに悩んだ時もあった。

時は流れ社会人となり、自分で稼いだ金で何かが出来るようになり、最初に実行した非日常性行動といえば、音楽愛好家集団のヨーロッパ旅行に紛れ込みパリのルーヴル美術館でそれらの絵の実物を観ることだった。
「グランドオダリスク」の現物の前に立った時の興奮は今でも憶えている。ただどういう訳か(貸し出しが激しいからだが)「泉」とは出会えなかった。その後行った二回目のルーヴルでも会えなかった。
その「泉」と出会えたのは、なんと1981年日本の上野の国立西洋美術館の「アングル展」だった。二回目に会ったのは2005年の横浜美術館「ルーヴル美術館展」であったから不思議だ。


Google Art Culture「泉」 ← ここをクリック



その後 年齢や知識(?)と共に絵画の趣味や好みはどんどん変わっていった。モネやルノアールが当然のように好きになり、またその先でフェルメールやクリムトに行き着き、今ゴッホやピカソの一部に強く惹かれる。自分には自ら絵を描いたり文章を書いたり音楽を奏でる才は全く持つ事なく現在まで至ってしまったことは残念だが、それらを観て読んで聴いて楽しむ趣味を授けてくれた両親には深く感謝している。





2017年12月18日月曜日

野口興産ウインターコンサート

11月29日(水)に代々木上原にある音楽ホール・ムジカーザで野口興産主催の5回目のウィンターコンサートを開催した。
お客様は得意先とメーカー・商社・設計事務所など106名、弊社社員・家族・スタッフ20名を加え。全126名だ。

今回は演奏者が今までと大分変り、ヴァイオリンの高木弾君はそのまま(3回目)だが、ピアニストは飯田俊明氏、ソプラノは鷲尾麻衣さんに出演してもらった。
私も飯田さんの演奏は何回か聴いたことがあり、その力量はわかっているつもりだったが、こうしてホールで一番前に座りジックリ聴いてみると今までとはまた違った。
最初の音から今まで響いたことのない程の強音で、それが当日のコンサートのいい幕開けとなった。
次のヴァイオリンとの合奏も十分息の合った演奏で安心できた。
合奏とピアノ独奏を経てソプラノの鷲尾さんが登場した。
最初の一曲で彼女の美声と美貌が観客の心を捉えたことを感じた。
飯田さんは一曲毎に曲の解説をしてポイントや聴き所を面白く指摘する。
第一部はクラッシック音楽だが、殆んどがよく知られているか、または聴いたことのある曲で聞き手との隔たりは感じられなかった。
第二部は映画音楽から日本歌曲・ポップスまで演奏者の得意な楽曲が続き、これまた大いに盛り上がった。

時間はあっという間にすぎアンコールまで声援と拍手が続いた。
終わってみれば殆んど時間を感じさせない2時間であった。
お帰りになるお客様から「良かった」「楽しかった」の声をいただいた。
翌日も多くの人からお礼の電話とメールをいただいた。
またアンケート結果も殆んど好評であった。
私が特に感じ入った曲を夫々に挙げさせて貰うと、高木弾君では映画音楽の「シンドラーのリスト」やるかたない弱音部と訴えかける強音部が美しいメロディの上を踊っていた。
演奏が終わった後の一瞬の静寂が印象的であった。
飯田さんは出だしの序奏も観客を圧倒したが、お客様から音符をもらって作り上げた即興の曲はこれは正直驚きだった。
作曲もこなす本人にしてみれば慣れた事かもしれないが、紡ぎ出された曲はその場で作ったとは信じられないメロディに変化してこれもまた大好評。
鷲尾さんから一曲を挙げるのは難しい。
どの曲も確かなテクニックに支えられプッチーニから中島みゆきまでこなす歌手だ。
でも私の好みから言わせてもらえばヘンデルの歌曲だろうか。

こうして会社の名前を冠したコンサートが続けられるのは今のところ会社が順調なのと、今回スタッフと呼ばれる若手の社員が惜しみなく活躍してくれるからだ。
それは本当に感謝している。

来年も私の気力と体力が続き、会社が許してくれるなら続けたいものだ。

代表取締役社長 野口裕二

ピアノ:飯田俊明さん ヴァイオリン:高木弾さん

飯田俊明さん

ソプラノ:鷲尾麻衣さん

ヴァイオリン:高木弾さん




2017年7月24日月曜日

弦楽四重奏 死と乙女


2017年7月15日
夕刻から新大久保のスタジオ・ビルトオージという小さなホールで弦楽四重奏 モーツアルトの第14番「春」とシューベルトの同じく14番「死と乙女」を聴いてきた。

演奏は最近聴く機会の多い高木弾君の属する【カルテットカッツェ】
(ヴァイオリン:高木弾・八巻由里子、ヴィオラ:矢澤麗子、チェロ:塚本慈和)
一緒に聴きに行ったのはいつもの音楽仲間四人とだ。

捜し歩いたホールは地下1階のキレイだが50人も入ると一杯になるようなホールだった。
後で聞いたら当日は70人をギューギューに詰め込んだそうだ。
どうりで狭くて暑いはずだ。
自由席ということで気持ち早めに行ったら、なんと一番前の真ん中が空席になっていたので、ちょっと迷ったがその席に座らせてもらった。
ファーストヴァイオリンのイスから2メートルと離れていない。

そんな訳で出だし好調から始まったが、やはり真ん前の真ん中の席となると音の量と質が違う。

それはモーツアルトが始まってすぐそう思った。
ヴァイオリンの弦と弓が触れ合う微妙な弱音や、持ち物が震える程のチェロの低音、今まで聴くだけで見えていないCDではヴァイオリンとチェロのオマケのように聴いていたヴィオラの音が見えることで生き生きと聴き取れた。

モーツァルトは確かにモーツァルトの作曲でモーツァルトらしさに溢れていた・・・だが久し振りに音楽魂を揺す振られたのはシューベルトの「死と乙女」だった。

勿論、昔から好きな曲で若い頃は名演奏と云われるレコード盤を借りて来てはよく聴いたが、ここしばらく聴く機会はなかった。
それが・・・最初の強音からガンガン直接響いてくる。
シューベルトにしては無駄な旋律の一切ない音の連続が張り詰めた緊張感を持って途切れることなく続く第1楽章 曲名の第2楽章変奏曲 第3楽章スケルツォ そして終楽章ロンドに続いた。
絶望感・諦感・束の間の愛らしい哀感・闘争心、まるでシューベルトの短い人生のような疾走感が綯い交ぜになって全身に響く。
『ああ、このまま終わることなく永遠に続けば良いのに』と思う数少ない演奏だった。
元々シューベルトにはそうした名曲がいくつか有る。

それにしても終わって思ったのは、名曲・名演と言えども聞く側にも体調・タイミングがある。
その上で久し振りに出会えた至福の瞬間であった、ということだ。

演奏者の皆さん 有難う!。



2017年6月1日木曜日

井上道義と大阪フィル

M銀行のN部長のご好意によりいただいた招待券で
2月22日東京芸術劇場のコンサートホールでショスタコービッチの交響曲11・12番を夫婦で聴いて来た。
指揮は井上道義 オーケストラは大阪フィルハーモニー交響楽団だ。
指揮者の井上は今 大人気の指揮者で頭はツルツルだが、背が高くハンサムで曲の盛り上がるシーンでは指揮台から飛び上がるほど力強い。
拍手と共に入場し一礼してサッとオーケストラに向き合い曲に入る姿もカッコいい。
とても70歳とは思えない!
創立70周年を迎えるオーケストラもダイナミックな音も出すが、基本的には日本人らしい正確さと律儀さに満ちている。
特に弦が。
曲は浅学にして初めて聴く11番と12番だったが、それなりに充分楽しめた。
特に11番は楽章の切れ目無しに続く全曲70分の大作で革命をモティーフにしている。

曲が終わって音が鳴り止むと思わず深い溜め息が出た。
堅いプログラムにも関わらず広いホールの客席はほぼ満席と言っていい状態。
それに東京芸術劇場の大ホールは音の響きが良く残響も深くもっとも好きなホールだ。

私も若い時に較べると、ピアノ曲などは別だが、大曲をこうしてホールに出かけて聴くことも
自宅で自分の好きなクラッシック音楽(ワグナー・ブルックナー・マーラーなど)を大音量で聴く機会も
極端に少なくなってしまった。
大曲を聴くには日常とは別個の時間とそれなりの集中力および体力が必要だからだ。
自身の精神の清浄と向上の為にも、たまにはこのような機会が必要だなと痛感した一夜であった。

招待券を下さったN部長 有難うございました。



youtubeより
エルガー「威風堂々」 第1番 / 井上道義 大阪フィルハーモニー 【1997年】

2017年4月3日月曜日

歌麿の画集

小学館から喜多川歌麿の画集「THE BEAUTHY」が発刊されました。
確かに欲しいは欲しいのですが、A3版 厳選100画で定価12万円。
消費税を入れると福澤さん13枚出して百円玉が数個コロコロ戻ってくるという大冊!
流石にウーンと呻りました。
大体好きな歌麿は既に色の美しい複製版画で殆んど持っていますし、
特に好きな「物思恋ものおもうこい」などは家庭と社内に同じ摺りの版画を2枚持っている位です。

ただ昔、写楽の全版画集が出版された時、やはり値段でしばらく躊躇していたら無くなってしまった事があります。
子供達からも「そんなに迷うなら買っちゃえば」と一部助成金も出たので思い切って、いつも面倒な本を頼む女性店長の本屋さん発注しました。
そして「入荷しました」との連絡を受け、喜び勇んで絵を受け取りに行って・・・ビックリです。
外側のダンボール箱を開け、板紙の包装を開き、重たい本の爪鍵を外してページをめくりました。
流石に絵は素晴しい印刷で、箱根の岡田美術館に2回も足を運び拝み見た「深川の雪」の初コピー3枚折から始まり「品川の月」「吉原の花」と進みニンマリしたのですが・・・

真ん中から後半部分はギラギラした春画に覆い尽くされていたのです。
皆様ご存知の通り私はこうした淡白な性格ですから、浮世絵は死ぬほど好きですが、春画は苦手です。
頁を捲っていてみるみる興奮が冷め、腰が引けます。
あまりにどぎつい、というのが素直な感想です。
絵として楽しめるのは「歌満くら」までです。
そんな訳で娘達にも「見てご覧」と渡せないし、ただ私の書庫に一人ドン!と居座っています。

どなたかそれを承知の上で見たければお貸ししますよ。

物思恋

歌まくら